目からウロコの健幸学

心身一如を前提としたホリスティックな健幸学の構築を目指すブログ。信じていることが現象化するという量子論的な視点を軸に、健康と幸福を自己責任で生きる道を追求しようという試みの提案です。

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★血圧の真実を探求しよう!

世に、医学常識と呼ばれるものには、あまりにもいい加減なものが多い。

中でも、罪が重いと和多志が考えているのが、血圧が高いと危険という常識?である。

昔は、年齢に90加えたものが一つの基準になっていた。
しかし、その後医療機関ごとに、高血圧の基準を設け、人々を混乱させる時代が続き、やがて足並みが揃ったと思ったら、基準をどんどん引き下げるという蛮行を始めだした。

もちろん、狙いは降圧剤治療で稼ぐのが主目的だろう。

長い生命の連鎖の中で、進化し、たどり着いた人体の精妙な生命活動の仕組みにおいて、無駄なものなど一つもないし、健幸維持のために本来的に備わっているホメオスタシスの自己調整機能が働いて、なお血圧が高いには、それなりの意味があるに違いない。

それに目を向けずに、ただ、血圧は下げなければいけない・・・と数値だけを下げようとする愚かさや危険性に目を向けることも、健幸自立を目指す人にとっては、欠かせないテーマのではなかろうか。

* 無視され続けている血液循環仮説の欠陥
腸で生産された血液(千島・森下学説)を、全身の細胞に送り届け、回収することは、生命活動の根幹であることは間違いない。

しかし、握りこぶし大の心臓という名のポンプが全身に血液を送り循環させているのだというウィリアム・ハーベーの仮説が360年余りも経った今でも、現代医学の大前提になっていることは、如何なものであろうか?

西式健康法を創始された西勝造博士は、世界のあらゆる医学に精通した医学博士であると同時に、東京の地下鉄の設計も担当した工学博士でもあった。
先生は、西洋医学が常識としている様々な仮説を、物理工学的見地から、徹底して検証し直し、血液循環移管しては、次の二つの偉大な発見と検証を行われた。

⒈ 血液循環の原動力は、細胞の血液呼吸と毛細血管の毛細管現象にあり、心臓はポンプよりもタンクとしての役割が中心である。(心臓の大きさや筋肉量などを力学的に精査すると、全身の毛細血管に血液を送る能力は絶対的に不足することを証明された。)

⒉ 血液循環を支える器官としては、動静脈管や毛細血管のほかに、どう静脈吻合管というシステムがあり、体温の維持や緊急時のバイパス路として重要な役割を果たしている。
現代の人為的な生活により、多くの人が、この動静脈吻合を失っていることが、諸病の原因にもなっている。

(屍体解剖時には、この動静脈吻合・・別名グローミュー管は溶解して失われているので、現代医学は、その存在を軽視してきたが、最近はこれを認識する医学者も増えてきているようである。)

西博士は、ハーベー以来の古典的な仮説に基づいた医療の誤りを指摘し、改善するよう呼びかけ、異論があるなら公開討論で明らかにしようと、何度も呼びかけられたが、一切無視され続けた現実に、幼いわたしは、医学や医師というものの奇怪さを見せられる思いだった。

(注)ウィリアム・ハーベー[1578~1657]英国の医師。動物の解剖や実験を行い、血液循環の理論を解明して、近代生理学の基盤を築いた。


* 必要だから血圧は高くなる。
全身の細胞や器官は、血液循環により酸素や栄養を受け取り、老廃物を排出している。これが滞れば生存の危機であり、不足するだけでも機能が低下することは避けられない。

ところが、歳とともに血管が硬くなったり細くなったり、運動不足で循環が滞ったり(下肢や内臓からの還流には、筋肉の動きの援助も必要)、凝りや筋緊張で血流の制限が起きたり、静脈瘤などが増えて来ていたり・・・などという事態になれば、からだは必要に応じて、血圧を上げることで対処する。特に、大量の血液により酸素の補給を受けながら、脳の温度を一定に維持する必要がある脳に対しては、確実に血液を届ける方策として血圧を上げる。

つまり、身体は、生き延び機能を維持するために必要だからこそ、血圧を上げているのである。
医者は、血圧が高いから血管が硬くなると言っているが、おそらく本末転倒であろう。

従って、血圧を上げる原因となった状況や真の原因と向き合うことなく、勝手な基準に基づき、降圧剤により、血圧を抑え込めば、どのような結果になるか、素人にも予想がつくのではないか。

例えば、血管が細くなったり硬化して、流量が下がりがちなので圧をあげて通そうとしているのに、血液の粘度を下げることで、血圧だけ下げて事足れりとしているなら、何が起きることだろう。

医師が、血圧が高いと危険だというのは、脳溢血や脳梗塞、心筋梗塞などを引き起こす確率が高くなるからだと言う。
しかし、血管の柔軟性や太さを維持し、酸化ストレスへの対応を適切にして血管硬化や血管瘤の発生をコントロールし、動静脈吻合を賦活して、溢血の危険をなくす・・・などの原因へのアプローチが正しく行われていれば、そして適度の運動を行い、少々の血圧の上下は、ホメオスタシスの表れと感謝し、笑って生きていれば、年齢プラス90でも、十分な基準になると、わたしは考えている。

このような状況について、原発問題で有名な武田邦彦先生が、分かりやすく書いてくださっているので、引用させていただこう。

「血圧の基準」

血圧の基準はかつて「年齢+90」だったものが、あるときに「年齢に関係なく160」になり、それが徐々に下げられて、2014年の夏まで130、至適なのは120と異常に低い値になった。そして「血圧は低いほどよい。個人差、年齢差はない」という。完全に非科学的な概念が長い間、血圧という健康の指標でもっとも大切なものに幅をきかせていた。

もともと20歳の健康な人でも、血圧が100ぐらいから140程度まで幅がある。100の人が正常で、140の人が高血圧病ということはなく、それは「個性」だ。背の高さが160センチの人もいれば180センチの人もいるようなもので、全員が同じ背の高さ、同じ血圧でないと「健康ではない」ということではない。

また年齢が高くなると血圧が上がるが、これは「血管壁が硬くなる」からだ。若い頃は、血管の流れは柔軟でもっとも血液を送るのに都合が良いようになっているけれど、年齢を重ねると血管壁が硬くなり、血液の流れがスムースでは無くなる。

いっぽう、血流は命の源だから、心臓は少し無理をして血液を送る。それも無理矢理ではなく、「やや血圧を上げよう。あまりあげると血管が破裂するし、あまり血圧を下げると血が行き渡らないから、このぐらいにしておこう」と考えて、(自動的に調整して)血圧を心臓が決めている。

つまり、心臓はよくよく考え、自分の体をベストな状態に保つために努力している。それは体温でもコレステロールの量でも、痛風の引き金になる尿酸値でも、すべて「体が適正にコントロールしている」のだ。

だから、数式が「年齢+90」で正しいかどうかは不明で、少し補正が必要と思うけれど、年齢によって血圧が上がる方が「良い」のは間違いない。もし人間の体が年齢とともに変化してはいけなければ、年齢とともに筋肉増強剤を使わなければならないし、骨の柔軟剤、内臓強化剤、シワができたら皮膚の移植からなにから必要となる。そんなバカな基準を使っていたのだから、罪は重い。(続く)

『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』より一部抜粋

著者/武田邦彦(中部大学教授)
東京大学卒業後、旭化成に入社。同社にてウラン濃縮研究所長を勤め、芝浦工業大学工学部教授を経て現職に就任。現在、テレビ出演等で活躍。メルマガで、原発や環境問題を中心にテレビでは言えない“真実”を発信中。


* 降圧剤の危険性
血圧は下がっても、必要なところに十分な血液が行かなければ、当然新たな問題が発生する。
かねてより、日本が世界的に見ても、認知症などボケの発症率が高いのも、降圧剤の乱用とリンクしていると、わたしは考えていたが、最近学者の中にも、このことを発言される方が出てきたのは嬉しいことである。

精神科医の和田秀樹氏の文章を引用させていただく。

【降圧剤が与えるダメージ】

「最近は、年齢に関係なく血圧の目標数値を設定して、
 上回った場合には降圧剤を服用させていますが、
 投薬を続けているとますます交感神経が緊張してしまい、
 脳に血流が行かなくて、早くぼけてしまうのです。

 それがわかると、年をとって血圧が上がったからと言って、
 やたらと薬を飲んで血圧を下げさせるというのは、
 あり得ない話だと理解できます。」

和田 秀樹氏(国際医療福祉大学教授、一橋大学特任教授)
『不老の方程式』より


今後も、当たり前とされている医学常識の多くが、医療ビジネスの都合で、洗脳の道具になっていることには、注意を払い、自己責任で正しい情報をゲットしていただきたいものである。
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プロフィール

勝Z(かつじぃ)

Author:勝Z(かつじぃ)
生れ落ちた瞬間から、西勝造先生創始の西式健康法で育てられたお蔭で、症状は必要だから生じているのだ、経過させれば治るのが当たりまえと考えて育ちました。

さらには、幼い頃から、病気になるのは、自分が何らかの原因を作っているからで、自分が作った病気なら、自分で治せて当然ではないのかと考えるようになり、現代医学とは異なる視点から健康や病気について、また心身のつながりについて見つめ続けるようになりました。

お蔭で、生まれてから76歳の今日まで、病気らしい病気をすることもなく(学生時代に虫垂炎らしい状況になったのを幸いに、手術というものを体験してみたくて入院したのが唯一の思い出です)、歯医者以外に掛かり付けがないという人生を送って来ました。

40歳過ぎた頃から、「心身の統合と人間の可能性開発」というテーマと取り組み始め、以来30年あまり、様々な視点から研究を続け、自分の体験をもとにした健幸論を追求してきました。

平均寿命が延びても、晩年は寝たきりというような方々が増えてくるのを見るにつけ、
「元気なまま長寿を楽しめる人を増やしたい。」
「人本来の健幸力を生かすことで、健康寿命を伸ばしたい。」
そのために、少しでも役に立ちたいと考え続けてきました。

たとえ素人考えと笑われても、和多志の体験に基づいた、そして従来からの医学や健康論にはなかった視点をご披露することで、健康長寿を目指す方々に何分のヒントにでもなればと思い、浅学非才を顧みず、筆を取り始めたものです。

これが正しいと自己主張する気はありません。あくまでも、このような視点から見た時、選択の幅や意識の持ち方が変わってきませんか?という提案だとご理解頂けたら幸せです。

できれば、皆さまのご意見やご批判も頂きながら、ご一緒に、病気治しではなく、健康づくりにより病気が寄り付かない生き方暮らし方の知恵を体系化していけたら嬉しいと考えております。

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