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目からウロコの健幸学

心身一如を前提としたホリスティックな健幸学の構築を目指すブログ。信じていることが現象化するという量子論的な視点を軸に、健康と幸福を自己責任で生きる道を追求しようという試みの提案です。

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★視点の転換3.病気にも目的があるという観点

前回は、症状=療法 つまり自己治癒のプロセスと観て、
ありがたく経過していただくという視点
をご提案した。

あなたは、それ以外の視点を何か思いつかれたであろうか?

今回は、症状が出た時、あなたを取り巻く周りの人たちとの間で、
どのようなことが起きたかを思い出してみてほしい。

中には、「自分が苦しんでいるのに、連れ合いは平気な顔で、ろくに言葉もかけてくれなかった。」
という人もいないとも限らないが、
(その場合は、日頃からの関係性作りについて、病気にかかることで、気づきのチャンスを
貰ったと見ることも出来るだろうが・・・
)多くの場合、家族や友人、あるいは医療関係者からは、暖かい言葉や労わりや関心を
貰ったのではなかろうか。

これが第2の視点のポイントである。

人間の行動には、必ず目的がある・・・アドラー心理学でいう「目的論」の観点である。

もちろん本人が表面意識で気づいていることもあるが、潜在意識レベルでの欲求なので、
気づかずにやっていることも多い。

つまり、その行動(病気を引き起こすことも、ここでは行動と呼んでおく。)
によって得られるメリット(見返り)があることを、潜在意識は知っていて、
それを自分にプレゼントしようとして、あえてそれを引き寄せるような行動をするのである。

分かりやすい例を考えてみよう。
試験や発表会などの間際に、決まって熱を出したり、下痢したりする子がいる。
その多くは、「試験や発表会に参加すると、出来の悪い自分を見られて、
叱られるに違いない。とか、親を失望させる。」という恐れをもっており、
それを避ける合理的な言い訳として、発熱や下痢を引き起こしている

・・・という視点だ。

もちろん全てがそうだと言う訳では無いが、そのような視点に立ったとき、
親としての関わり方や勇気づけのアプローチが変われば、
こどもは病気にならなくても済むのでは無いか、という提言である。

この視点に立って見る時、潜在意識レベルで、もっとも
病気になることが望ましい状況にいる人々
について、一考しておきたい。

それは、現役を引退して、毎日が日曜日になった人の中によく見られる現象である。
つまり、現役時代は、毎日が忙しく、仕事仲間との交流も多く、ベテランとして尊敬もされ、
自分の知識や技術にも自信を持っていた。

ところが引退したら、家族はとっくに自立して、自分を必要としていない。
忙しい忙しいと、長年にわたり家族を放ったらかしにしてきたのだから当然の結果でもあろう。

一方、仕事仲間や元部下はどうかというと・・・
「ベテランの自分がいなくなれば、仲間たちはきっと困るだろうし、助けてくれと家に訪ねても来るだろう。」
と思っていたのに、現実には誰も訪ねて来ない。それどころか電話の問い合わせさえも無い。

「長年、仕事一筋で生きてきて、自分の人生目的なんてあまり考えていなかったし、
今更何をやりたいか、と聞かれてもなあ・・・。」と時間を持て余す日々が始まる。

ゴルフやパチンコ、カラオケなどの趣味があれば、若干は繋げるかも知れ無いが、
それにも限度があるしいずれは飽きてくることも多かろう。

したいことも見つからず暇な毎日、
専門分野を離れた自分にはどんな存在価値があるのかも見えて来ない。
誰にも必要とされず、誰からも構ってもらえ無い日々の孤独感。


もしあなたがそんな状況に置かれたら、あなたならどうするだろうか。

その答えは、治療所や診療所の前に列を作っている高齢者の列を見ればわかる。
病院の談話室などでも同じである。
同じように病気を持つ人同士が仲間のように肩を寄せ合い、
「自分はどれだけ大変か」という自慢くらべをしている光景を
あなたは見たことがあるのでは無いだろうか。

もうお分かりだろう。
病気になることで、彼らの多くは

1.暇を持て余しながら、何もできない、していない自分だが、
病気だから仕方が無いという正当化ができる。

2.痛みや症状と向き合っていれば、暇だと感じる余裕がなくなるし、
患者仲間と重症度のコンクールをやっていれば、軽い自尊心の代替品にもなる。

3.そして何より、お医者さんや看護師さんは、お加減はいかがですか?
と優しく声をかけてくれる。

自己存在についての無力感と孤独感から救われ、周りからのいたわりも貰えるとなれば、病気を手放すなんてトンデモナイ。

つまり、病気が治っては困る人たちが居るということである。

もちろん、本気で健康を望みながら、不本意にも病気になり、
今、現実に苦しんでおられる方にとって、このような見方をされると、
「自分はそんな目的は持っていない。バカにしないで欲しい。」とお怒りかも知れない。

お許しいただきたい。決してあなたがそうだと言っている訳ではないし、
病気で苦しんでいる方を揶揄する気もない。

ただ、辛い病気という自己正当化の手段を使ってでも、人は愛が欲しいし、
心の置き場所を求めたい存在だということを理解していただきたいし、
そのような人たちが病気を引き寄せなくてもすむよう、
サポートして行きたいと考えるからこそ、あえて取り上げさせてもらっている
ことをご理解いただきたい。

高齢化が進む日本では、多くの人びと(中でも仕事一筋で来た男性の多く)には、
このような潜在意識レベルの欲求から、
病気であることが必要な現実
があるとみても、あながち間違ってはいないと和多志は考える。
そして、孤独な上、生きる価値や楽しみも見いだせないし、
病気になるのも嫌だと思う人は(それもほとんど無意識なままで)
ボケるか早死するか・・・
という選択をする
のではなかろうか。

これが目的論的な視方である。

高齢化に伴い、病気や認知症の高齢者が増えたり、引退後短期間で亡くなったり
するケースが多い裏に、このような潜在意識レベルのニーズがあるとしたら、
これらは本人の自覚や現役中からの準備、そして周りの人達の配慮で、
健康長寿の道にシフトできる人も増えるのではないかと思うから、
取り上げているのである。

医療の進化も重要ではあろうが、
上のような視点からするならば、
高齢化に向かう人々が、働いているうちから生きがいにつながる目標を持ったり、お互いの存在を認め合い、
温もりのある交流ができる人間関係を構築するサポートを進めなければ、
この国の医療費は間違いなく破綻すると思われるが、いかがであろうか。


和多志が、病気の予防ではなく、「ホリスティック・ウェルネス」という形で、
ライフスタイル全般についての健幸創造の取り組みの必要性を提唱する根幹の一つは、
このような視点によるものである。

いくら平均寿命が延びても、寝たきりの高齢者が増えるだけでは嬉しくない。
現在 健康寿命と平均寿命の間に、男性で約9年、女性で約12年半の差がある。
多くの人が、最晩年は病気で過ごしているということである。

高齢者の医療費や介護費用が増大する一方という現実に対処するにも、
このような観点からのアプローチは、不可欠なのではないだろうか。

野口整体で有名な 野口晴哉先生が 著書「人間の探求」にこんなことを言われていることを、最近友人のブログから教えてもらった。
参考までに、ご紹介しておく。

「自分の病気は重く見られたい」

苦しいと言っているから苦しんでいるのだろうとそう思う。そして、その苦しみを早く除いてやろうといろいろと工夫する。或る開業医は、病気は軽ければ誰も嬉しいだろうと思って、どの人にも「貴方のは簡単に治るヨ、何でもないヨ」と言っていたら誰も来なくなってしまったとこぼしていたが、病気といえども自分のハンドバックやネックレスと同じに自分の持物であります。然もそれがある為に周囲の人々から大切にされ労われ、布団の中でご馳走も食えるのですから、その安心安全用の大切な病気を「軽いヨ」なんて貶されて腹をたてない病人があるつもりでいるならば大きな手抜かりです。病気は何でも軽いといったら相手が喜ぶつもりでいたということは病人の裡にある本当の心を知らなかったといわねばなりません。
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プロフィール

勝Z(かつじぃ)

Author:勝Z(かつじぃ)
生れ落ちた瞬間から、西勝造先生創始の西式健康法で育てられたお蔭で、症状は必要だから生じているのだ、経過させれば治るのが当たりまえと考えて育ちました。

さらには、幼い頃から、病気になるのは、自分が何らかの原因を作っているからで、自分が作った病気なら、自分で治せて当然ではないのかと考えるようになり、現代医学とは異なる視点から健康や病気について、また心身のつながりについて見つめ続けるようになりました。

お蔭で、生まれてから76歳の今日まで、病気らしい病気をすることもなく(学生時代に虫垂炎らしい状況になったのを幸いに、手術というものを体験してみたくて入院したのが唯一の思い出です)、歯医者以外に掛かり付けがないという人生を送って来ました。

40歳過ぎた頃から、「心身の統合と人間の可能性開発」というテーマと取り組み始め、以来30年あまり、様々な視点から研究を続け、自分の体験をもとにした健幸論を追求してきました。

平均寿命が延びても、晩年は寝たきりというような方々が増えてくるのを見るにつけ、
「元気なまま長寿を楽しめる人を増やしたい。」
「人本来の健幸力を生かすことで、健康寿命を伸ばしたい。」
そのために、少しでも役に立ちたいと考え続けてきました。

たとえ素人考えと笑われても、和多志の体験に基づいた、そして従来からの医学や健康論にはなかった視点をご披露することで、健康長寿を目指す方々に何分のヒントにでもなればと思い、浅学非才を顧みず、筆を取り始めたものです。

これが正しいと自己主張する気はありません。あくまでも、このような視点から見た時、選択の幅や意識の持ち方が変わってきませんか?という提案だとご理解頂けたら幸せです。

できれば、皆さまのご意見やご批判も頂きながら、ご一緒に、病気治しではなく、健康づくりにより病気が寄り付かない生き方暮らし方の知恵を体系化していけたら嬉しいと考えております。

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