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目からウロコの健幸学

心身一如を前提としたホリスティックな健幸学の構築を目指すブログ。信じていることが現象化するという量子論的な視点を軸に、健康と幸福を自己責任で生きる道を追求しようという試みの提案です。

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若さを保つ秘訣。・・・・あなたは歳よりも若く見られますか?

長らく発信を休んでおりましたが、この秋から再び活動を開始することにしました。
どうぞよろしくお願いします。

今日の話題は、いつまでも若々しく生きるヒントです。

人間の肉体的なピークはおおむね30歳くらいと言われ、多くの人がこの頃から、容姿も肌も老化し始めます。
女性方は「お肌の曲がり角」などのコマーシャルにドキッとする年齢でもあります。

そしてこの頃から、人により老け方のスピードが変わって来るようですが、できれば少しでも長く若々しさを維持し、60~70歳過ぎても元気に若々しく居たいと思うのは人情ですよね。
では始めましょう・・・・

★あなたは自分の実年齢相応に見られることが多いですか?
それとも実年齢より老けて、あるいは若く見られることが多いでしょうか?


わたしは日頃から、意識が現象化すると言っています。
心身の状態も、意識が現象化したものと言えます。

ということは、あなたが実年齢より若く、あるいは老けて見られるのは、あなたの意識がそうなっていると言う事なのではないでしょうか。


★ 例えば人から評価されたり褒められたりして、満足している人の脳の中では、ドーパミン(やる気の出るホルモンとも言われる)という神経伝達物質が分泌されます。

このドーパミンの分泌により、脳神経細胞が活発化し、脳や身体がどんどん活性化し若々しくなるのです。

●人間の脳は、生理的には30歳前後でピークを迎えます。

しかし、誰かに褒められることにより、脳は活性化することで、生涯現役でいられるのです。
もし引退して、「最近、褒められたことがない」 という人は自分で自分を褒めましょう(自己暗示)。
自分誉めランチなどやるだけでも脳がどんどん元気になるはずです。

●それともう一つ、脳を活性化し若さを保つ面白い方法があります。
それは、「自分の年齢をサバ読みする」というものです。

現実には70歳の人が、自分は50歳だ!と思って行動すると自然に体を動かすようになり、行動範囲も広がります。

自分はもう70歳だから・・・と思うと、70歳の行動しかとれなくなってしまいます。

ところが、「まだ50歳なんだ」と思ったとたんイキイキした行動がとれますし、脳もイキイキしてくるのです。

わたしは今76歳ですが自宅のヘルスメーターに乗ると、肉体年齢が62歳と出ます。
それで、あ、私の実年齢は62歳なのだ、と信じ込み、その年の人の積りで行動しています。

★いつまでも若々しく元気でいるために、人から褒められるように意識します。(褒められたら素直にありがとうと受け取ります。)
それが難しければ、自分で自分を褒めたり、自分の年齢を10歳~20歳ぐらいサバ読みしてしまいましょう!
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★ナウシカに学ぶ、命の原理。すべての命の基本原理は生かし合い。

昔、有機農の 赤峰 勝人さんが書かれた「ニンジンから宇宙へ」という本を読んだ時、虫が食べるのは、未完熟の堆肥を与えすぎた野菜だと気づいた時の驚きのことを書いておられたのを読んで、私も目の醒める思いがしたことを覚えています。

未完熟の堆肥を与えたり、堆肥を与えすぎた野菜は、どうしても硝酸態窒素が過剰になり、人間が食べると毒になる。
人間が食べると毒になるから、虫たちが食べてくれていたのだと言う趣旨のことが、確か書かれていたように思う。

私は、風の谷のナウシカに出てくる腐海の王蟲たちも、同じ働きを表したものだと思う。

そして更に目を転じると、私たちの体に増殖するガン細胞も、同じ働きをしてくれているのではないかと思うのだ。

食生活やストレスだらけの生活で、酸性に傾き、添加物だらけの速品の毒や宿便の毒が再吸収されて汚れた血液が循環し始めると、命にかかわる危険が出てくるので、血液の一部が体を張ってガン細胞に転換し、内部に毒を抱え込んで、体全体が破壊されるのを防いでくれているのではないかと思うのだ。

医学界では無視され続けている千島・森下学説は、血液は腸で作られるとされている。
意識変化でストレスを減らし、食養と排泄の心がけで血液をきれいにし続ければ、やがて体内の深いたるガンは、お役目を終わって消滅するのが命の法則なのではないかと思う。

癌に限らず、病気と呼ばれているものは全て、何らかの意味で 自然治癒の機能を果たしており、対症療法がひたすら症状を消すことばかりを考える流れには、いささか疑問を感じている。

世の中の全ての「悪」とされるものも、視点を変えてみれば、何らかの必要性や目的があるのではなかろうかナウシカと王蟲

★視点の転換5.人に与えるために病気を引き受ける場合もあるという観点

生まれながらにして、難病を抱えている子供さんがいる。
幼い時から、ひどいアトピーや喘息に悩まされるお子さんもある。

目の前で、いたいけない我が子が苦しんでいるのを見れば、親としては、
「何の罪もない我が子が、どうしてこんなに苦しまなけりゃいけないの?」
と神様に文句を言いたくなるのも当たり前かもしれない。

原因という観点から見るなら、お母さんがそうとは知らずに食べた食べ物の農薬や添加物が原因であったり、病院で受けた治療や薬の副作用であったり、母子ともに被害者という場合もあるかも知れない。

妊娠前あるいは妊娠中のお母さんのライフスタイルや環境や食生活など、様々な要因から、その影響を受けての病気だとすれば、幼い命が親の落ち度により被害を被ったと見ることもできる。

しかしそのような受身的な観点から一歩踏み出して、その子は、そのような親を選んで生まれてきたと考えるならば、その子供が病気を、自ら選んで引き受けたと観ることもできるのではなかろうか。

前述の、病気をする目的や病気が気づきのメッセージをくれる、という話とよく似ているが、その目的やメッセージが、自分自身に、ではなくて、第三者に向けたものである場合もあるように思われるのだ。

つまり、赤ちゃんは、親が、今のライフスタイルや住環境、食生活などの不調和を正さないと、重病をしたり早死にしたりする可能性があるよ・・・と自分の身体を張って警告してくれて居るのかも知れない、という観方である。

あるいは、夫婦仲が悪くてしょっちゅう喧嘩している夫婦でも、赤ちゃんが発作を起こして苦しんでいる時には、喧嘩を脇に置き、協力して赤ちゃんの看病に当たるというケースがある。
この場合、親の絆を取り戻させることが目的で、子供が発作を引き受けてくれていると見ることもできる。

幼くして病気から死に至る赤ちゃんもある。たった数ヶ月でお子さんをなくした親御さんの気持ちは、どれだけ辛いだろうか、とも思う。嘆きに沈まれるのも自然かと思う。

しかし、それもその子供さんが選んだのだとすれば、そのことを通じて、親だけではなく、祖父母や兄弟や姉妹や周りの人たちに、命の貴重さや儚さ、愛することの意味や重さ、今健康に生きられていることへの感謝などを学ばせるために、その幼子の魂が選んだ使命だったと観ることも出来るのではないか。


今現実に子供さんや身内のご家族に病人を抱えておられる方にとっては、心身ともに負担が大きく、早く治してあげたいとか楽にさせてあげたいと強く願っておられると思う。

病気を治すのは病気されている方の自己治癒力ではあるが、同時に、もし上記のような観点に立って、周りの方の観方や行動が変わり、後病人が病気を引き受けた目的が達成されたら、その病気はもう手放しても良いものになり、結果として快癒に向かうものと考えられる。

肉体を持った地球での人生は、魂の成長のための学校であり、すべての出会いや体験は、自己成長のために用意されたカリキュラムだという観点に立つ時、身近なかたの病気や死すらも、和多志の気づきと成長のために与えて頂けた賜物だと感謝することができるならば、そしてそのような観方がすべての体験にできるようになれば、人生には苦は無くなり、すべては感謝と喜びのチャンスに変わるのではなかろうか。

このような見方が自然にできるようになる時、ストレスに満ちていた人生は喜びに満ち溢れ、1000兆の腸内細菌や、2兆の皮膚や泌尿器の常在菌と37兆の体細胞の共生生命体=Organic Holisは自ずから健幸な状態に向かうに違いない・・・と和多志は確信している。

この道を、健幸学よりむしろ健幸道がふさわしいと和多志が考えるのも、このような確信からのことである。

★視点の転換4.病気にはメッセージがあるという観点

前回は、病気の目的つまり
病気になることで都合のいい場合もある
という観点をご紹介した。

多くは潜在意識レベルの欲求なので、自分でも気づいていない。
現実には病気で苦しんでいるのに、
「自分にとって病気の方が都合が良いから選んでいるんだろう?」
と言われたら、頭にきた!と怒る人も多いだろう。

しかし、もし、「病気にならなくてもいい人生選択もある」
ことに気づくチャンスがあれば、その人は、自らの選択として、
健康を回復するチャンスや、二度と同じような病気をしなくて済む
ようになるチャンスを手にされると考えられないだろうか。


今回提案する第3の観点は・・・
病気(症状)はメッセージを秘めたプレゼントだ
ということである。

まず誰でも思いつくメッセージは、
「自分が病気を作り出した原因に気づけ」ということであろう。

医師の診断を受けると、ほとんどの場合、
「症状が出始めてからの経過について説明してほしい。」
と言われるであろう。しかし、
「その症状を作り出した本当の原因が何なのか思い当たることはないか?」
と原因にさかのぼって追求してくる医師は少ないのではなかろうか。
アロパシーつまり対症療法を専門に学んできた医師にとって、
症状をどう抑えるかがメインテーマであっても、その症状の本当の原因が
どこから来ているかを調べ、根本治療する事はテーマではない
という事なのだ。

別の見方をすると、症状を抑える学問は学んでいるが、根本原因を調べ、
どうすれば病気にならなくて済むか、を研究する事は、
従来の医師の世界ではほとんど求められてこなかったとも言えるのではないか。
(従って、病気にならない真の健康法を、医師に学ぼうとするのには限界がある。
 少なくとも、ごく限られた医師にしか期待できないと言うことである。)

もちろん、何事にしろ原因探しをしだすと・・・
・風邪をひいた原因は?   ウィルスにやられたから。
・ウィルスにやられた原因は? 不摂生して体力や免疫力が落ちていたから。
・不摂生した原因は?  仕事が忙しくて、避けられなかったから。
・その仕事を断れなかった原因は?  ・・・・・
てな調子で、きりがない。

しかし、免疫力や健康力でもカバーできないような状況を作ってしまった裏には、

意識の持ち方や考え方、人間関係のストレスの受け止め方や、
生活時間帯の乱れや、回復力を上回る体力の酷使や、
暴飲暴食や、心が眠ってしまうような長期間の贅沢と怠惰や、
大事な人を失って生きがいを喪失した・・・など

何らかの種まき・・・生命活動への不調和の創造があったのではなかろうか。

そうじゃないかも知れないが、もしそうだとして、その自らの創造に気づけたら、
そして、気づきに従って、意識や行動の仕方などを改めたら、
結果として病気は、役割を果たせた!と安心して去っていく場合が多い、
ホリスティック・ウェルネス的観方では、考える。

幸いなことに、このプレゼントをくれる真我?それとも魂?いや神様?
は、ご親切にも、
体のどの器官にどのような症状を出すか・・・を選ぶことで、
メッセージに気づきやすい配慮をしてくれている
ように思われる。

例えば、喘息や咽頭癌などの場合は、環境やのどの酷使などが原因だ
ということも多いかも知れない。
しかし、それらに該当しない場合もあるだろう。
そんなとき、ヒントになるのは、喉が本来持っている役割が何か、である。

喉というのは、呼吸器でもあるし、声を出し、意思表示をする器官でもある。

和多志の体験では、言いたいことがあるのに、他人の目や反応を気にして、
我慢し続けている人に、喉に関する症状が出るケースが多いということだ。

以前ある漢方医から、
「胃の不調を訴えてくる患者を薬で治しても、
しばらくすると、また胃を悪くしてやってくる。
不思議と治しても、治しても、同じ部位を悪してくるし、
来るたびに重症化している、何故だろうかと思う。」と聞かされた。
食事などについては、細かく注意を与え、それを守っていても、
やはりまた、胃を悪くしてくるというのだ。

皆さんも、過去に胃が痛くなるような体験をしたことがないだろうか。
例えば、上司から呼ばれ、これから、厳しい審査で知られる上司の前で、
自分が作成した企画提案の説明をするように命ぜられた途端に、
胃のあたりがキューンと締まり、痛みすら感じ始めたり、
急に下痢が始まったり・・・というようなことだ。

完璧さや正しさにこだわる人の、失敗するのではという恐れのストレスは、
どうも胃や腸に影響することが多いように思われる。

和多志の体験では、飲み込んだ怒りは肝臓や腸に、
繰り返す不安や恐れは腎臓に・・・などなど リンクしやすい臓器は
かなり明確な傾向を示しているように思える。

もちろん、ケースバイケースで 人により病気により、メッセージは異なるだろう。
しかし、もしあなたやあなたの大切な人が今、何らかの症状に苦しんでいるとしたら、
このような観点でメッセージが無いか、探求してみてはどうだろう。

器官ごとに影響するストレスの傾向があるということについては、
いずれ健幸学の方で、詳しく扱いたいと考えているが、
皆さんは、自分なりに 「メッセージはなんだろう?」と考えてみて頂きたい。

きっと自分の人生を前に進めるのに役立つ気づきが得られると思う。


ちなみに、
今まで74年間、病気らしい病気をしたことの無い和多志だが、
ここ最近、右足膝の痛みに始まり、左奥歯の腫れと痛み、首筋後部の吹き出物
そして昨日今日は、前かがみになったときに腰椎の強い痛みを体験している。

一体何のメッセージなんだろう、と楽しみながら探求しているところだ。

物理的な原因としては、歯の治療で噛み合わせがずれたことも考えられる。

さらに数日前、大きくて重い旅行鞄を片手で持ち上げて、
無理な姿勢で駅の階段を駆け上がったことで、膝を痛めたことが考えられる。

腰の痛みは、特別効果性の高い乳酸菌発酵熟成エキスを大量摂取したことや、
名人による胃下垂アップの治療を受けて、腸や内臓が大きく動き始めたこと、
なども関わっていると考えられる。

しかし、目的は原因探しだけでは無い。メッセージに気づくことなのである。

昨日今日、やりたい畑仕事も我慢し、妻によるアロマヒーリングなど受けながら、
静かに自分と対話していて考えたこと、気づいたことは・・・

⒈ 歳を取っても、若さと体力はまだ衰えてはいないぞ、と自分に確認するため
  ついつい、若者のような力強さや素早さを表現しようとする無理があった。
  裏返すと、村の先輩たちの衰えていく様子を見て、
  どこかに自分が老化して衰えていくことへの不安を握っていたのでは無いか。
  不安を手放し、現状をあるがままに受け入れ、肩肘張らずに
  命のペースを感じながら動けというメッセージ。

⒉ 1年も放置して荒れている畑を、一刻も早く復旧し、
  初夏の農作業をさくさく進めたい、という思いと、
  健幸学やこのブログをもっと書き進め、また腸内細菌についての研究や、
  これから仲間たちが発売する乳酸菌発酵熟成エキスの体制作りに協力する
  教育体制作りも早くやらねば、という思い
  それらが交錯して、ついつい焦りがちになり、
  今立っているこの足元を感じながら生きる余裕を失っていたことへの警告。

⒊ 今まで大きな病気もせず、体に関する不安や痛みの体験にとぼしく、病気の人の
  気持ちが、よく分からない和多志に、少しでも実感を持って相手の気持ちや痛み
  を理解できるようになれというプレゼント。

⒋ 今まで、人に与えたり人を導くことにばかり意識を向け、
  人に甘えたり頭を下げてサポートしてもらうことを余りやってこなかった。
  特に、一番そばにいる女性、つまり妻に対しても、その偏りに気づき、
  甘えることも学べよ、というアドバイス。
 

以上、思いつくままに気づきを挙げてみた。
また他にも思いつくかもしれ無いが、ここに挙げただけでも、
和多志にとっては貴重な気づきであり、ありがたいメッセージであった。

我がカラダ(潜在意識)が、和多志に気づいて欲しいと思っていたことを、
しっかり受け取りさえすれば、結果として、これらの症状は、
自然治癒に向かうだろうと、和多志は楽しみにしている。

なお、追記するなら、
病気だけでなく、人生の凡ゆる出来事、
中でも災難と呼ばれるような事件などへの遭遇も、
意識や魂の成長に必要なメッセージ、あるいは気づきを得るチャンス
として与えられているもの
なのだ、と和多志は考えている。

早くその事に気づき、意識の持ち方、考え方や行動の仕方などを改めれば、
もう同じ形のメッセージは受け取らずに済むに違い無い、とも言える。
それは引きも直さず、人生の主体性を取り戻す事にも通ずるのである。

もしあなたが、同じような病気や事件を繰り返し体験しているとしたら、
上記のような観点で、一度ゆっくり探求して見られてはいかがであろうか。


「病気はメッセージを載せた、天からのプレゼント」
もしあなたが、そう考えるようになれば、あなたはどんな病気や出来事に出会っても、
「なんでこんな目に遭わなければならないのか」
と被害者になっている暇に、
「自分へのメッセージはなんだろう。」「人生のプレゼントはなんだろう。」と
真剣に向き合い、人生の舵取りの主導権を取り戻す事になるのではなかろうか。

このようにして、人生はチャンスの連続なんだと考え、前向きに取り組むとき、
「大難を小難に、小難を無難に。」と転じる事が可能になり、
たとえ万一、難事に出会うことがあったとしても、
常に喜びと感謝に生きる事が可能になるのではないだろうか。

★視点の転換3.病気にも目的があるという観点

前回は、症状=療法 つまり自己治癒のプロセスと観て、
ありがたく経過していただくという視点
をご提案した。

あなたは、それ以外の視点を何か思いつかれたであろうか?

今回は、症状が出た時、あなたを取り巻く周りの人たちとの間で、
どのようなことが起きたかを思い出してみてほしい。

中には、「自分が苦しんでいるのに、連れ合いは平気な顔で、ろくに言葉もかけてくれなかった。」
という人もいないとも限らないが、
(その場合は、日頃からの関係性作りについて、病気にかかることで、気づきのチャンスを
貰ったと見ることも出来るだろうが・・・
)多くの場合、家族や友人、あるいは医療関係者からは、暖かい言葉や労わりや関心を
貰ったのではなかろうか。

これが第2の視点のポイントである。

人間の行動には、必ず目的がある・・・アドラー心理学でいう「目的論」の観点である。

もちろん本人が表面意識で気づいていることもあるが、潜在意識レベルでの欲求なので、
気づかずにやっていることも多い。

つまり、その行動(病気を引き起こすことも、ここでは行動と呼んでおく。)
によって得られるメリット(見返り)があることを、潜在意識は知っていて、
それを自分にプレゼントしようとして、あえてそれを引き寄せるような行動をするのである。

分かりやすい例を考えてみよう。
試験や発表会などの間際に、決まって熱を出したり、下痢したりする子がいる。
その多くは、「試験や発表会に参加すると、出来の悪い自分を見られて、
叱られるに違いない。とか、親を失望させる。」という恐れをもっており、
それを避ける合理的な言い訳として、発熱や下痢を引き起こしている

・・・という視点だ。

もちろん全てがそうだと言う訳では無いが、そのような視点に立ったとき、
親としての関わり方や勇気づけのアプローチが変われば、
こどもは病気にならなくても済むのでは無いか、という提言である。

この視点に立って見る時、潜在意識レベルで、もっとも
病気になることが望ましい状況にいる人々
について、一考しておきたい。

それは、現役を引退して、毎日が日曜日になった人の中によく見られる現象である。
つまり、現役時代は、毎日が忙しく、仕事仲間との交流も多く、ベテランとして尊敬もされ、
自分の知識や技術にも自信を持っていた。

ところが引退したら、家族はとっくに自立して、自分を必要としていない。
忙しい忙しいと、長年にわたり家族を放ったらかしにしてきたのだから当然の結果でもあろう。

一方、仕事仲間や元部下はどうかというと・・・
「ベテランの自分がいなくなれば、仲間たちはきっと困るだろうし、助けてくれと家に訪ねても来るだろう。」
と思っていたのに、現実には誰も訪ねて来ない。それどころか電話の問い合わせさえも無い。

「長年、仕事一筋で生きてきて、自分の人生目的なんてあまり考えていなかったし、
今更何をやりたいか、と聞かれてもなあ・・・。」と時間を持て余す日々が始まる。

ゴルフやパチンコ、カラオケなどの趣味があれば、若干は繋げるかも知れ無いが、
それにも限度があるしいずれは飽きてくることも多かろう。

したいことも見つからず暇な毎日、
専門分野を離れた自分にはどんな存在価値があるのかも見えて来ない。
誰にも必要とされず、誰からも構ってもらえ無い日々の孤独感。


もしあなたがそんな状況に置かれたら、あなたならどうするだろうか。

その答えは、治療所や診療所の前に列を作っている高齢者の列を見ればわかる。
病院の談話室などでも同じである。
同じように病気を持つ人同士が仲間のように肩を寄せ合い、
「自分はどれだけ大変か」という自慢くらべをしている光景を
あなたは見たことがあるのでは無いだろうか。

もうお分かりだろう。
病気になることで、彼らの多くは

1.暇を持て余しながら、何もできない、していない自分だが、
病気だから仕方が無いという正当化ができる。

2.痛みや症状と向き合っていれば、暇だと感じる余裕がなくなるし、
患者仲間と重症度のコンクールをやっていれば、軽い自尊心の代替品にもなる。

3.そして何より、お医者さんや看護師さんは、お加減はいかがですか?
と優しく声をかけてくれる。

自己存在についての無力感と孤独感から救われ、周りからのいたわりも貰えるとなれば、病気を手放すなんてトンデモナイ。

つまり、病気が治っては困る人たちが居るということである。

もちろん、本気で健康を望みながら、不本意にも病気になり、
今、現実に苦しんでおられる方にとって、このような見方をされると、
「自分はそんな目的は持っていない。バカにしないで欲しい。」とお怒りかも知れない。

お許しいただきたい。決してあなたがそうだと言っている訳ではないし、
病気で苦しんでいる方を揶揄する気もない。

ただ、辛い病気という自己正当化の手段を使ってでも、人は愛が欲しいし、
心の置き場所を求めたい存在だということを理解していただきたいし、
そのような人たちが病気を引き寄せなくてもすむよう、
サポートして行きたいと考えるからこそ、あえて取り上げさせてもらっている
ことをご理解いただきたい。

高齢化が進む日本では、多くの人びと(中でも仕事一筋で来た男性の多く)には、
このような潜在意識レベルの欲求から、
病気であることが必要な現実
があるとみても、あながち間違ってはいないと和多志は考える。
そして、孤独な上、生きる価値や楽しみも見いだせないし、
病気になるのも嫌だと思う人は(それもほとんど無意識なままで)
ボケるか早死するか・・・
という選択をする
のではなかろうか。

これが目的論的な視方である。

高齢化に伴い、病気や認知症の高齢者が増えたり、引退後短期間で亡くなったり
するケースが多い裏に、このような潜在意識レベルのニーズがあるとしたら、
これらは本人の自覚や現役中からの準備、そして周りの人達の配慮で、
健康長寿の道にシフトできる人も増えるのではないかと思うから、
取り上げているのである。

医療の進化も重要ではあろうが、
上のような視点からするならば、
高齢化に向かう人々が、働いているうちから生きがいにつながる目標を持ったり、お互いの存在を認め合い、
温もりのある交流ができる人間関係を構築するサポートを進めなければ、
この国の医療費は間違いなく破綻すると思われるが、いかがであろうか。


和多志が、病気の予防ではなく、「ホリスティック・ウェルネス」という形で、
ライフスタイル全般についての健幸創造の取り組みの必要性を提唱する根幹の一つは、
このような視点によるものである。

いくら平均寿命が延びても、寝たきりの高齢者が増えるだけでは嬉しくない。
現在 健康寿命と平均寿命の間に、男性で約9年、女性で約12年半の差がある。
多くの人が、最晩年は病気で過ごしているということである。

高齢者の医療費や介護費用が増大する一方という現実に対処するにも、
このような観点からのアプローチは、不可欠なのではないだろうか。
プロフィール

勝Z(かつじぃ)

Author:勝Z(かつじぃ)
生れ落ちた瞬間から、西勝造先生創始の西式健康法で育てられたお蔭で、症状は必要だから生じているのだ、経過させれば治るのが当たりまえと考えて育ちました。

さらには、幼い頃から、病気になるのは、自分が何らかの原因を作っているからで、自分が作った病気なら、自分で治せて当然ではないのかと考えるようになり、現代医学とは異なる視点から健康や病気について、また心身のつながりについて見つめ続けるようになりました。

お蔭で、生まれてから76歳の今日まで、病気らしい病気をすることもなく(学生時代に虫垂炎らしい状況になったのを幸いに、手術というものを体験してみたくて入院したのが唯一の思い出です)、歯医者以外に掛かり付けがないという人生を送って来ました。

40歳過ぎた頃から、「心身の統合と人間の可能性開発」というテーマと取り組み始め、以来30年あまり、様々な視点から研究を続け、自分の体験をもとにした健幸論を追求してきました。

平均寿命が延びても、晩年は寝たきりというような方々が増えてくるのを見るにつけ、
「元気なまま長寿を楽しめる人を増やしたい。」
「人本来の健幸力を生かすことで、健康寿命を伸ばしたい。」
そのために、少しでも役に立ちたいと考え続けてきました。

たとえ素人考えと笑われても、和多志の体験に基づいた、そして従来からの医学や健康論にはなかった視点をご披露することで、健康長寿を目指す方々に何分のヒントにでもなればと思い、浅学非才を顧みず、筆を取り始めたものです。

これが正しいと自己主張する気はありません。あくまでも、このような視点から見た時、選択の幅や意識の持ち方が変わってきませんか?という提案だとご理解頂けたら幸せです。

できれば、皆さまのご意見やご批判も頂きながら、ご一緒に、病気治しではなく、健康づくりにより病気が寄り付かない生き方暮らし方の知恵を体系化していけたら嬉しいと考えております。

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