目からウロコの健幸学

心身一如を前提としたホリスティックな健幸学の構築を目指すブログ。信じていることが現象化するという量子論的な視点を軸に、健康と幸福を自己責任で生きる道を追求しようという試みの提案です。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

★ 38億年の叡智・・・原初生命体というクラウドにつながる生き方を!

現代医学ができるだけ見ないようにしているものに「自然治癒力」があります。
  *「病を治すのは、医師ではなく、身体である。」
  *「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」
  *「我々が体の内に持っている、自然治癒力こそ、治癒するための最高のエネルギーなのである」


こんな言葉を聞くと、私は我が意を得たり・・・という気分になるのですが、これらは、医聖ヒポクラテスの言葉と言われています。
ではヒポクラテスが確信していた自然治癒力とは何者なのでしょうか?

素人考えですが、私なりの仮説を書いてみようと思います。

◆ すべての生命体は、同じ言葉で繋がっている。

38億年前、この地球上に単核生物が誕生してから今日まで、生命の絆は、一貫してDNAという信号体系(同じ言葉)を利用して脈々と繋がれてきました。
太古のシアノバクテリアから私たち人間まで、命の流れは延々と受け継がれてきたわけであり、DNAという同じ言葉で結びついていることは間違いないと思われます。

◆ 生きた証、体験知や叡智はクラウドに記録されている?

そして、生命の流れを引き継いできた無数の命は、その生存中の体験を、DNAに書き加え、それらは生命場というクラウドにプールされて来たに違いない、と私は考えます。

このクラウドを今仮に「原初生命体クラウド」と名づけたいと思います。
ルパード・シェルドレイクの形態形成場の仮説にも似ていますが、もっと広く、生命たちの共通意識のクラウドとしての情報場が既に存在しているという仮説です。

生気論的アプローチを断固排除したい現代科学のスタンスでは受け入れられるべくもないとは思いますが、ITやスマートフォンの世界でクラウドが当たり前に活用されている時代に、見えない情報場やエネルギー場を否定する考え方は、早晩崩壊せざるを得ないと考えます。

近時のエピジェネティックスの発展などを見ていると、DNAはその生命体に固有の青写真であったとしても、その発現には、外部環境やその生命体の生育歴などの影響が顕著であり、例えば人間で言えば、「氏より育ち」と言って良いくらいのダイナミックな関係性があるように思われます。

従って、各個体や生物群の生存中の体験や、生き延びるために身につけた知恵、病気や災害に対応するためのり・バランス機能などが、「原書生命体クラウド」に、38億年に渡り書き加え続けられて来たからこそ、生物体は、何度にも渡る天変地異にも対応するすべを見つけて生き残ることが出来たのであり、進化もして来たのではないでしょうか。


◆ クラウドとの繋がりで自然治癒力が働く。

例えば、私たちがインフルエンザ・ウィルスに侵されると、直ちに免疫機能が働き、体温を上げてマクロファージなどの活力をアップしながら、同時に熱に弱いウィルスを弱体化させれます。
同時に、汗をどんどんかかせることで、ウィルスとの戦いで発生した毒素を排泄しつつ、体温の上がり過ぎをコントロールもします。
毒素の排泄が追いつかないと、嘔吐や下痢で対応することもします。

生命体全体のバランスを保ちながら、様々な自己治癒のプロセスが、完璧なタイミングやレベルで実行されていきます。
自己防衛機能・恒常性維持機能・自己修復機能などの機能が有機的、総合的な観点から組み合わされ、実行されてゆくのです。

上記の、ヒポクラテスの言葉は、このような自己治癒力や生命体が本来的に持っている生命力の見事さを、率直に伝えているものだと思われます。

このような観点から見ると、症状とは、原初生命体クラウドの叡智に従って発動されている自然治癒、自己治癒のプロセスそのものであり、これを如何に円滑に機能させ、経過させるか・・・こそが医療の最優先課題になるべきなものなのではないでしょうか。


◆ 対症療法の奢りとそれが作り出す大いなる無駄

38億年の叡智の現れとして生命体が選択する自己治癒のプロセスは、人間の37兆(60兆)の全細胞と、体の内外に共生する100兆を超える常在菌や腸内細菌群の全てを見渡すホリスティック(統合的)な視点から計画・選択・実施されているに違いありません。
その狙いは、遭遇している危難や侵略に対し、生命体が対応し生き延びるのに最適な平衡状態を瞬間瞬間、常にキープし続けるという前提から、ホリスティックに対応手段と進行手順を選んで発動していくということだと思われます。

これに対し、現代医学は「症状は悪」、だから症状を速やかに抑えたりなくしたりすることが医学の役割だ・・・と考えているように見えます。
そして、人間機械論的な観点から、症状の起きているその組織や器官を修理し、あるいは取り替えたり破壊したりするのです。
きっとそこには、医薬や医術が 症状を排除し、健康をもたらす偉大な力を持っているという仮説があるのだと思いますが、症状という局所しか見ない医療が、生命の叡智である自然治癒力より優れているという見方は、傲慢なのではないでしょうか。

生命全体の流れを俯瞰しながら、有機的なつながりの中で「原初生命体クラウド」がベストの選択として選んでくれている「症状」を押さえ込む医療が目指すゴールは一体どこなのでしょうか?私には分かりません。

共生微生物を含む生命体全体の視点から、常に全体的な平衡状態を配慮しながら進められる「自然治癒のプロセス」と、
自然治癒の表れである症状自体を標的に、機械論的に排除したり、医薬で押さえ込んだりする「対症療法の治療」と、
どちらがあなたの生命の法則に沿うものなのか、真の治癒につながるものなのか、をあなた自身でじっくり考えてみてはいかがでしょうか。
スポンサーサイト
[ 2015/08/14 12:26 ] 健幸学序論 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

勝Z(かつじぃ)

Author:勝Z(かつじぃ)
生れ落ちた瞬間から、西勝造先生創始の西式健康法で育てられたお蔭で、症状は必要だから生じているのだ、経過させれば治るのが当たりまえと考えて育ちました。

さらには、幼い頃から、病気になるのは、自分が何らかの原因を作っているからで、自分が作った病気なら、自分で治せて当然ではないのかと考えるようになり、現代医学とは異なる視点から健康や病気について、また心身のつながりについて見つめ続けるようになりました。

お蔭で、生まれてから76歳の今日まで、病気らしい病気をすることもなく(学生時代に虫垂炎らしい状況になったのを幸いに、手術というものを体験してみたくて入院したのが唯一の思い出です)、歯医者以外に掛かり付けがないという人生を送って来ました。

40歳過ぎた頃から、「心身の統合と人間の可能性開発」というテーマと取り組み始め、以来30年あまり、様々な視点から研究を続け、自分の体験をもとにした健幸論を追求してきました。

平均寿命が延びても、晩年は寝たきりというような方々が増えてくるのを見るにつけ、
「元気なまま長寿を楽しめる人を増やしたい。」
「人本来の健幸力を生かすことで、健康寿命を伸ばしたい。」
そのために、少しでも役に立ちたいと考え続けてきました。

たとえ素人考えと笑われても、和多志の体験に基づいた、そして従来からの医学や健康論にはなかった視点をご披露することで、健康長寿を目指す方々に何分のヒントにでもなればと思い、浅学非才を顧みず、筆を取り始めたものです。

これが正しいと自己主張する気はありません。あくまでも、このような視点から見た時、選択の幅や意識の持ち方が変わってきませんか?という提案だとご理解頂けたら幸せです。

できれば、皆さまのご意見やご批判も頂きながら、ご一緒に、病気治しではなく、健康づくりにより病気が寄り付かない生き方暮らし方の知恵を体系化していけたら嬉しいと考えております。

最新コメント


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。